前回の記事「イングレス目的の海外渡航の一例 #ingadv2017」はアドベンドカレンダーであったことやGoogle+の再共有の力によって、多くの人に読んでいただけたようです。ありがとうございます。
今回はイングレスからはちょっと離れて、私自身のはじめての海外渡航のときのことを書いてみます。
タイトルにもあるように初渡航先はインドでした。空港でいうと、チェンナイとかバンガロールとかのあたりです。
なぜインドに行くことにしたのか、ネタ的にはちょうどよい内容です。
ポイントだけを書きますと、
・難病を治すため
・実力派ヒーラーに連れて行かれた
ということになります。
私は過去、大量下血をしました。当時も東京都中央区に住んでいました。駅でいうと、水天宮前駅の近くでした。
当時は「救急車を呼ぶのは死に直面している人でないと、後からとんでもないお金が請求される」と勝手に思い込んでいたため、大量下血しているのに、パンツの中にトイレットペーパーを何重にも重ねて自力で病院へと向かい、フツーに待合室で自分の順番になるのを待っていました。
自分の番になって状況説明をしたところ、多角的な検査がはじまりました。はじめて、若い看護婦さんに座薬を挿入してもらったりとなかなかの経験です。
その検査結果として、大腸内が血だらけの内視鏡画像を見せられつつ「潰瘍性大腸炎」と診断され、「大腸を摘出するのと、死ぬまで薬を飲み続けるの、どっちを選ぶ?」ということになりまして、私は迷うことなく後者を選択しました。
難病認定を受け、薬代もかからずに治療でき、「ラッキー!」と思ったりもしていましたが、どんどん体調が悪くなっていきました。
当時の私はそれなりにホリスティック医学の知識やちょっとしたヒーリング・テクニックは習得していたので、薬剤によって自己治癒力が抑止されてしまっていることを身をもって実感していたので、何かしらの別の方法で解決したいと思っていました。
また、中村天風という過去の偉人が、難病(結核)になってそれを治すために世界を旅し、ヒマラヤで修行して治したという実話も知っていたので、ぼんやりとですが、私自身もインドのほうで修行すれば、西洋医学的対処療法ではなく、完治することができるだろうと思っていました。
そういった時機に、東京の山奥にある檜原村に住む村上仙人に会いに行ったところ、たまたま(というか運命なんでしょうけれど)、一部では「現代のエクソシスト」と評されていた故・生島秋雄さんと出会い、とんとん拍子にインド行きが決まっていきました。
インドに行ってしてきたことは、
・「アガスティアの葉」を見て、自分のこれまでとこれからを知る
・カレスワール・スワミの下で修行
・不思議な(スピリチュアルな)現象を自分の目で確認し、ビデオにも収める
って感じです。
当時はまだ、サティヤ・サイババも生きていて、私個人としては会ってみたかったのですが、カレスワール・スワミに、「君には能力がある。が、サイババに会いに行ったら、その能力を奪われてしまうぞ!」みたいなことを言われてしまい、会いに行くことが許されませんでした。
結果的に、カレスワール・スワミの下で修行したことで、潰瘍性大腸炎は消失しました。
「治ってよかった!」というのが全人類の共通の感想になると思っていました。
そういう展開にしてくれないのが国だったり。。。
そのあたりのことは気が向いたときに別の記事で書いていこうかと思います。
最後に動画を載せておきます。
喋っているのは故・生島さんです。
私の右手の上に置かれたペンダントヘッドからわいてくる液体はアムリタです。
手前がシルディ・サイババ、後ろがサティヤ・サイババのやつですね。
トリックだとして、どうすれば、このようにペンダントヘッドから液体が出てくるんでしょうね。
どこかから転送されてきているようにしか思えないというか。。。
ちなみにアムリタは、味はハチミツ、香りはジャスミンって感じでした。